2005年 05月 20日
ひとりごと。 |
*ホームページの更新を怠っている日々。。。
以前だったらホームページの方に書いていたようなひとりごと、
ちょっと書いてみました。
相変わらず、グダグダですけどw
*ゴミのことなど
燃えないゴミって、「燃やさないで埋め立ててる」って事だよね。ふと考えてみると「燃やすと良くないから燃やさない」→燃やすとよくない感じがするのは化学物質だから?ビニールとか石油製品→燃やすと良くないから埋める?埋めるって、「海をゴミで埋め立てる」
こういう流れって小学校とかで習ったりして、処分場とかの見学に行ったりもする。
燃えないゴミで埋った海って、キレイじゃない。
ビニールは何十年たってもビニールのままでいるらしい事は、なんとなく知っている。
燃えないゴミ=土に返らないビニールなどをを使えば使うほど、きれいな海がなくなる。
こういう流れをたぶん、皆知ってる。
そうか、考えたり得た知識は行動しなくては意味がない。
「行動」、具体的な行動としては「ビニール」「化学物質」をなるべ使わない事が行動かしらん。
ビニールも燃やさないとなくならない。正確には、燃やしても灰になって循環の中に取り込まれて、結局は何も永遠にはなくならないのだろうケド。
でも、ビニールで埋った海はきれいじゃないし、私は(みんなそう思うと思うけど)好きじゃない。
ビニールは燃やすといけないから、もうすごい細分化したゴミの分別をして、それがなんだか「環境」のため、みたいになってる。
「分別」もすごくいい事。もう一回加工して使うっていう、ひとつの選択。
これだけ普段の生活にビニールが使われる今の生活で「じゃあ、ビニールなしでどうやって生活すんのよ!」みたいに思う?
じゃあさ、「なるべく使わないくする」とか。
なるべく化学物質は使わない。
*私のあんまり燃えないゴミを使いたくない生活*
・ウチの燃えないゴミは、主に食品の包装。スーパーは陳列での見栄えをよくするために必要以上にトレーを使うらしい。宅配は陳列しないからか、トレー入りのものは少ない感じです。
・調味料は瓶入りのものを選んで、ドレッシングや合わせ調味料的なものはテキトーに作っちゃうので「○○のためのタレ」みたいな市販のものは使わないです。そういう容器って全部ゴミだしね。
・シャンプーとか買うなら詰め替え用。液体のせっけんって容器が必要だけど「せっけん」そのままなら容器はいらないから、サンダー石鹸で手作り固形せっけんとか作って使ってる。
・プラスチック製品に消極的。あんまり買わない。ほとんど買わない、かな。
買わなくても自分の家にあったりするから(もらったりして)、それは大事に使ったり、使わなかったり。
・「燃えないゴミ」を買わない。
などなど・・・。
***
前はビニールは絶対燃えないゴミ!って思って食品などで汚れたビニールも、食器を洗う時にパパッと洗って燃えないゴミにだしてましたが、最近は「ビニールそのまま埋め立てるより燃やしちゃう選択」もありかなって思う。自治体によって「燃やすゴミ」にビニールも入ったりするのは高性能の焼却炉を持ってるところらしくって、これもまた、「何でも燃やしちゃえばいいじゃん」って感じじゃなくて「しょうがなく使った少しのビニールなら燃やして灰にしてしまう選択もあるよ」って思うんですよ。福岡博士のソトコトでのコラムを読んでそう思ったんだよね。エントロピーの話で、難しいことはmayuにはさっぱりですが、燃やせないゴミも燃やして灰にしてしまう話があって、興味深かったな。
とにかく、必要以上にビニールやら化学物質は使わずに生活したい。
化学物質を無くそう!みたいな話じゃなくて、必要な場合は使うけど、
それ以外のもので代用できるなら使わないでいいんじゃないって思う。
食品の容器とか、瓶入りのものってかわいいし。瓶は「リサイクル」に出さなくても、
家庭で何度でも使えるしね。
知識や言葉を知っていても行動しないなら意味がない。
そういう「大人」が多いよね。
私も甘えないで、行動できる「大人」でいたいものです。
*地に足着いた暮らしについて
「ナチュラル」「スロー」「エコロジー」、いろんな言葉が先行して、一人歩き中。
こういうコンセプトの媒体はもてはやされる感じです。
同じ様な内容のものが多いしね。質のいい生活の提案はすごく素敵だと思う。
世界中の逸品たちを暮らし中で使ったりの、生活の質を向上させるような情報。
情報を求める人たちにはもってこい。
どんな事にも「正しい答え」があるように教育されてきた私たち、
「答えなんてなくていいんだ」って思うと楽。
考えることを忘れた日本人達は、自分で考えるよりも人が提案してくれた、
誰かが教えてくれる情報に翻弄されやすい。私も含めて。
戒めなくては。。。
本当のところは、「自分がどう思うか」。
自分が「好き」と思うものを見つけられるかなって。
自分のお気に入りを見つけるのは楽しいよね。それに囲まれた生活は、
明らかに「考えない生活」よりも考えた人にとって居心地の良い暮らし。
誰かが提案した「質の高い暮らし」や楽しみの情報を追い求めても、
そこには結局「自分」がいないなと気づいたのか気づかないのか、
何事にも飽きっぽい私のこと、ただ単に飽きたのか、
私はここのところ、情報はもういいかな~って気分で過ごしています。
「自分は何をしている時が楽しいのかな」「どんなものが好きなのかな」って事、
中学高校~会社勤めを辞める頃まで、あんまりちゃんと考えてあげてませんでした。
だいたい「自分が本当にしたいこと」なんて全く考えてなかったような気がします。
進路だって「短大ぐらいは出てよね」と親に言われて、はい決まり。てな具合です。
「こんなもんでしょ」的な堕落した日本人の典型ですね。
洋服などの買い物も楽しみで好きではあったけど、雑誌が大好きでそれを参考にしてた。
ファッション雑誌を見てなんとなく流されている感じ。
何を求めてたんでしょうねぇ、あの頃は。
本当に好きなものを見つけることもしないで、なんとなく時代の流れから大幅にはみ出る事のないような感じだったかもしれません。
今は自分の感性を大切にしてあげたい。
簡単で楽しい事だけど、未熟な私には結構難しい事もあって、
何かを選ぶ時、「コレ」って思って決めた事が違和感があったりして、
思考で判断して選んだものと、感性が選んだものとの違いを感じたり。
未だにあります。テヘ。
好きだった雑誌も読むものが変わって、「生活提案系」のものが好きだったのが
ちょっと前。そういう雑誌のキーワード、
「ナチュラル」「スロー」「エコロジー」、今はもうなんだか気恥ずかしさを感じます。
「地に足付けて、考えや知識を行動できる生活」をしたい。
例えばさ、「ナチュラル」「スロー」な食べ物を作ろうって、
「砂糖は使わないで」世界中のあちこちから集めたドライフルーツを使ったお菓子。
これって、果たして「ナチュラル」?「スロー?」って自分でドライフルーツを使うお菓子を作ってても感じる矛盾。
もともとのスローフードの意味だって「その土地のものを食べる」みたいな部分も含んでいてるわけで、エライ遠くからやってきた「ナチュラル」で「スロー」なドライフルーツやら南の国の食べものを使うと「スローフード」じゃない。
だから、「悪い」って事じゃなくて、「良い事」でもなくて。
突き詰めて考えたらキリが無い。
キリがないから、面白いような気もしてる。
・大地を守る会「東京都中央防波堤埋立最終処分場見学」
ゴミの海の写真見れます。
mayu
以前だったらホームページの方に書いていたようなひとりごと、
ちょっと書いてみました。
相変わらず、グダグダですけどw
*ゴミのことなど
燃えないゴミって、「燃やさないで埋め立ててる」って事だよね。ふと考えてみると「燃やすと良くないから燃やさない」→燃やすとよくない感じがするのは化学物質だから?ビニールとか石油製品→燃やすと良くないから埋める?埋めるって、「海をゴミで埋め立てる」
こういう流れって小学校とかで習ったりして、処分場とかの見学に行ったりもする。
燃えないゴミで埋った海って、キレイじゃない。
ビニールは何十年たってもビニールのままでいるらしい事は、なんとなく知っている。
燃えないゴミ=土に返らないビニールなどをを使えば使うほど、きれいな海がなくなる。
こういう流れをたぶん、皆知ってる。
そうか、考えたり得た知識は行動しなくては意味がない。
「行動」、具体的な行動としては「ビニール」「化学物質」をなるべ使わない事が行動かしらん。
ビニールも燃やさないとなくならない。正確には、燃やしても灰になって循環の中に取り込まれて、結局は何も永遠にはなくならないのだろうケド。
でも、ビニールで埋った海はきれいじゃないし、私は(みんなそう思うと思うけど)好きじゃない。
ビニールは燃やすといけないから、もうすごい細分化したゴミの分別をして、それがなんだか「環境」のため、みたいになってる。
「分別」もすごくいい事。もう一回加工して使うっていう、ひとつの選択。
これだけ普段の生活にビニールが使われる今の生活で「じゃあ、ビニールなしでどうやって生活すんのよ!」みたいに思う?
じゃあさ、「なるべく使わないくする」とか。
なるべく化学物質は使わない。
*私のあんまり燃えないゴミを使いたくない生活*
・ウチの燃えないゴミは、主に食品の包装。スーパーは陳列での見栄えをよくするために必要以上にトレーを使うらしい。宅配は陳列しないからか、トレー入りのものは少ない感じです。
・調味料は瓶入りのものを選んで、ドレッシングや合わせ調味料的なものはテキトーに作っちゃうので「○○のためのタレ」みたいな市販のものは使わないです。そういう容器って全部ゴミだしね。
・シャンプーとか買うなら詰め替え用。液体のせっけんって容器が必要だけど「せっけん」そのままなら容器はいらないから、サンダー石鹸で手作り固形せっけんとか作って使ってる。
・プラスチック製品に消極的。あんまり買わない。ほとんど買わない、かな。
買わなくても自分の家にあったりするから(もらったりして)、それは大事に使ったり、使わなかったり。
・「燃えないゴミ」を買わない。
などなど・・・。
***
前はビニールは絶対燃えないゴミ!って思って食品などで汚れたビニールも、食器を洗う時にパパッと洗って燃えないゴミにだしてましたが、最近は「ビニールそのまま埋め立てるより燃やしちゃう選択」もありかなって思う。自治体によって「燃やすゴミ」にビニールも入ったりするのは高性能の焼却炉を持ってるところらしくって、これもまた、「何でも燃やしちゃえばいいじゃん」って感じじゃなくて「しょうがなく使った少しのビニールなら燃やして灰にしてしまう選択もあるよ」って思うんですよ。福岡博士のソトコトでのコラムを読んでそう思ったんだよね。エントロピーの話で、難しいことはmayuにはさっぱりですが、燃やせないゴミも燃やして灰にしてしまう話があって、興味深かったな。
とにかく、必要以上にビニールやら化学物質は使わずに生活したい。
化学物質を無くそう!みたいな話じゃなくて、必要な場合は使うけど、
それ以外のもので代用できるなら使わないでいいんじゃないって思う。
食品の容器とか、瓶入りのものってかわいいし。瓶は「リサイクル」に出さなくても、
家庭で何度でも使えるしね。
知識や言葉を知っていても行動しないなら意味がない。
そういう「大人」が多いよね。
私も甘えないで、行動できる「大人」でいたいものです。
*地に足着いた暮らしについて
「ナチュラル」「スロー」「エコロジー」、いろんな言葉が先行して、一人歩き中。
こういうコンセプトの媒体はもてはやされる感じです。
同じ様な内容のものが多いしね。質のいい生活の提案はすごく素敵だと思う。
世界中の逸品たちを暮らし中で使ったりの、生活の質を向上させるような情報。
情報を求める人たちにはもってこい。
どんな事にも「正しい答え」があるように教育されてきた私たち、
「答えなんてなくていいんだ」って思うと楽。
考えることを忘れた日本人達は、自分で考えるよりも人が提案してくれた、
誰かが教えてくれる情報に翻弄されやすい。私も含めて。
戒めなくては。。。
本当のところは、「自分がどう思うか」。
自分が「好き」と思うものを見つけられるかなって。
自分のお気に入りを見つけるのは楽しいよね。それに囲まれた生活は、
明らかに「考えない生活」よりも考えた人にとって居心地の良い暮らし。
誰かが提案した「質の高い暮らし」や楽しみの情報を追い求めても、
そこには結局「自分」がいないなと気づいたのか気づかないのか、
何事にも飽きっぽい私のこと、ただ単に飽きたのか、
私はここのところ、情報はもういいかな~って気分で過ごしています。
「自分は何をしている時が楽しいのかな」「どんなものが好きなのかな」って事、
中学高校~会社勤めを辞める頃まで、あんまりちゃんと考えてあげてませんでした。
だいたい「自分が本当にしたいこと」なんて全く考えてなかったような気がします。
進路だって「短大ぐらいは出てよね」と親に言われて、はい決まり。てな具合です。
「こんなもんでしょ」的な堕落した日本人の典型ですね。
洋服などの買い物も楽しみで好きではあったけど、雑誌が大好きでそれを参考にしてた。
ファッション雑誌を見てなんとなく流されている感じ。
何を求めてたんでしょうねぇ、あの頃は。
本当に好きなものを見つけることもしないで、なんとなく時代の流れから大幅にはみ出る事のないような感じだったかもしれません。
今は自分の感性を大切にしてあげたい。
簡単で楽しい事だけど、未熟な私には結構難しい事もあって、
何かを選ぶ時、「コレ」って思って決めた事が違和感があったりして、
思考で判断して選んだものと、感性が選んだものとの違いを感じたり。
未だにあります。テヘ。
好きだった雑誌も読むものが変わって、「生活提案系」のものが好きだったのが
ちょっと前。そういう雑誌のキーワード、
「ナチュラル」「スロー」「エコロジー」、今はもうなんだか気恥ずかしさを感じます。
「地に足付けて、考えや知識を行動できる生活」をしたい。
例えばさ、「ナチュラル」「スロー」な食べ物を作ろうって、
「砂糖は使わないで」世界中のあちこちから集めたドライフルーツを使ったお菓子。
これって、果たして「ナチュラル」?「スロー?」って自分でドライフルーツを使うお菓子を作ってても感じる矛盾。
もともとのスローフードの意味だって「その土地のものを食べる」みたいな部分も含んでいてるわけで、エライ遠くからやってきた「ナチュラル」で「スロー」なドライフルーツやら南の国の食べものを使うと「スローフード」じゃない。
だから、「悪い」って事じゃなくて、「良い事」でもなくて。
突き詰めて考えたらキリが無い。
キリがないから、面白いような気もしてる。
・大地を守る会「東京都中央防波堤埋立最終処分場見学」
ゴミの海の写真見れます。
mayu
by b-h-mayu-megu
| 2005-05-20 16:14
| 楽しい